徒然、草ァ

限界薬学生物語

0006 悲しみLv.12

8月29日、7都市15公演、延べ21万人を動員した乃木坂46の真夏の全国ツアーを締めくくる三日間が、3年ぶりに聖地・明治神宮野球場にて始まった。

 

当日はファン達にとってはすっかり馴染みの雨模様。一塁側のスタンド席で小雨をポツリポツリと顔に受けながら、目の前の美しい存在の輝かしいその一瞬一瞬を見逃さないように見つめながら僕は強く心に誓う。

 

「研究なんてクソ喰らえ。絶対にあの忌まわしきラボをやめてやる」と。

 

都内の某大学院に合格し、所属のラボで修士課程進学が決まってからわずか2日後のことだった。

 

前回の更新から約1年空いた当ブログ。

また、今年もいつのまにか暑さも和らぎ、BGMもセミからスズムシにバトンタッチし、毎日ブツブツと文句を言いながら凌いだ酷暑も、過ぎ去ると少し物寂しさを感じる自分に驚く。

 

研究に少しずつ前向きな姿勢で取り組みつつ、学士編入へ熱く意気込んでいた男は11ヶ月後、研究に村を焼かれた主人公と成り果て、抵抗するすべなく医学研究科の大学院に進学が決まった。

 

この男は今まさに、キューブラー・ロスの悲しみの五段階3周目の怒りの真っ只中、悲しみLv.12なのである。

 

研究室ではMTGのない日では12時間中11時間45分ほど、僕はイヤホンをしている。自分のため息をノイズキャンセリングし、逃げる幸せの足を掴んで離さない。最近は大学なんぞ、早く離れたもの勝ちだと感じる。学部でアカデミアという底なしの沼から逃げ遅れたものが修士に足を取られる。

 

そもそもお金を払って研究するとは如何に?気がすり減るような繊細で単調な作業を繰り返す労働、封鎖的なコミュニティーで澱みがちな職場環境に詰め込まれた、コミュニケーションを少し苦手とする分癖の強い住人たち。ブラックなバイト?いいえ、お金を払って従事するのである。これがやりたくて私はここに置いていただいているという顔をして。

 

Oh~! Oh~!  僕は嫌だ!(長濱ねるさんお誕生日おめでとうございます!)

 

(本ブログの内容はあくまで筆者個人の感想であり、また分野、教室により、大きく環境は違う点に留意していただくよう読者の皆様はお願いします。)

 

原型を止めることなく拗らせてしまった人生、20代前半の日々をせっかくなので綴っていこうと思います。空白の11ヶ月もおいおい振り返るかと思います。なるべく笑ってもらえる話を書くつもりです。

 

尊敬してやまない、推しの一言を添えて締めたいと思います。

 

人生で迷ってしまった時、夢はいつでも自分の光にになってくれます。

 

0005 懺悔の味

暑いのが苦手なもので、はやく残暑が過ぎないかなと過ごしていたら先週から急に冷え込み一気に冬の訪れを感じる。冬が大好きな自分としては喜ばしい限りだが、秋らしい穏やかな日を今年はあまり楽しめず、少し寂しい気もする。

 

さて、そんなありきたりな書き出しは置いておき、僕は懺悔していることがある。

今月から満を辞して学士編入の予備校に入塾したのだが、気がつけばもう10月も残すところ1週間。カフェのドリンクもハロウィンのものになり、なんならクリスマスシーズンへ向けた準備が始まってしまっている。

 

が、予備校の授業を一コマも受講していない。

一体どうしてこんなことになっているのか…多分自分が一番不思議に感じている。

むしろ僕の遍歴を知る友人などは「でしょうね」というところだろう。

 

言い訳させて欲しい。

往復4時間の研究生活とバイトにのまれ、慣れない新生活に揉まれていたら気がついたら2ヶ月経っていたのだ。割と夜型の人間だったはずの僕が最近頻繁に寝落ちてしまう。時間も足りないし、限られた時間をフルに活用するための体力さえも足りていないというのが現状だ。

 

10月を振り返ると学業面では

・watsonの抄読会の終了

 毎週土曜日が潰れされていた勉強会が無事終了。テストは散々だったがなんとか基礎研究の現場で現在用いられてる手法をひと通り学習できたと思う。案外内容が編入試験にもつながったりしそうではあるので悪くなかったと思う。

TOEIC初受験

 TOEICを初めて受けた。結果は975点。よりによってreading分野での15点の失点。明らかに複数問間違えているので非常に悔しい。次回こそ満点を固く誓って再度申しこんだ。満点以外は0点と同じ。

pythonを学習し始めた

 かねてより勉強した勉強したいと思っていたプログラミング。pythonかRかで最後まで言語を迷っていたが、ついにpythonの学習を始めた。コロナの関係で大学の図書館から数ヶ月本を借りっぱなしができるので、4冊参考書を借りてきて、大学のpythonの講義と並行してこなしている。幸い研究に役立てるという名目で研究室でも堂々と勉強できるので暇な時は基本この勉強をしている。

 

大きなところだとざっとこんなところだろうか。予備校や、研究テーマ周りの論文掘りなど11月はさらに時間の使い方に気を配りたいところである。

 

研究にとにかく時間と気力を際限なく吸い取られた2ヶ月だったが、やればやるほど、自分の感触的にも周りの評価的にもやっぱり研究が向いているのかなという手応えは感じる。しかしながらそれと同時に、自分のやりたかった研究はこれじゃないのかなという感覚も段々芽生えてきた。基礎研究でマウスや培養細胞とばかり睨み合っているが、もっと臨床寄りの研究、ヒトでの高次脳機能を研究したかったことに気づいてきた。

 

なんとか少しずつ新しい環境での新しい生活に慣れてきたので、11月はもう少し誇れる振り返りができると信じたい。いや、とにかくストイックにやることをやるしかない。

 

自分を戒めるべく、好きな言葉を引用して締めるとする。

 

懺悔は一種ののろけなり。
快楽を二重にするものなり。
懺悔あり、ゆえにあらたむる
ものなし。懺悔の味は人生の
味なり。

 

 

 

0004 浜田雅功「成績はっぴょぉぉぉおおおおお」

9/3に3年春学期の成績発表がありました。

3年生の秋学期から卒業研究が始まる関係で、今回の成績発表で卒業に必要な単位が全てで揃うので、実質的に卒業の可否を示す発表にあたります。

 

 

結論から言うと私は春学期、フル単でした。

 

 

(いつも応援してくださっている皆さまへ

結果的に三度、留年詐欺をしてしまい皆様の信用を大きく損ねる形になってしまったことを強く反省すると共に、この場を借りて深く謝罪いたします。

しかしながら今期は教授の入れ替わりなどのあった講座が多数あったのにも関わらず、11科目が全て前日から一夜漬けだったため、留年の恐れがあるという情報発信そのものにはなんら違法性はなかったと認識しております。これからも応援よろしくお願いいたします。)

 

 

 

少し付け足すと、私の場合は正確には卒業単位を全て取り終えたわけではなく、2年次に落としていてこの秋再履修する2単位、4年次の語学の授業2単位の4単位に卒業研究の21単位が乗っかって、無事卒業となります。しかし、英語は簡単で、この秋の2単位も試験を寝飛ばして落としている2単位なので、まじめに勉強すればまず落とさないと思われ、普通に卒論さえまとまれば良いという点で、すでに現時点で卒業は固いという見解です。

 

 

さて、ここからが本題なのですが、卒業の見通しがたったことを受け、このたび正式に医学部への学士編入の意向を固めました。

近日中に河合塾傘下の医学部学士編入専門予備校に入学して、来年までに必要な学力をつけていく所存です。ここからしばらく、超弩級ブラック研究室で朝から晩までピペットカチカチしながらなんとかバイトと両立させて、残った時間全てを予備校の問題集でシャーペンカチカチするのにつぎ込む形になります。

しんど。俊足履いたドMの最終コーナーの追い込みがえぐいて。

 

万事うまくいけば、2023年4月にどこかの国立医学部の2年次に編入し、そこでもストレートで駒を勧められれば2028年3月に卒業できる見通しです。

 

またこれらの変更により、しばらくの間このブログに受験生ブログのジャンルが侵食してきます。研究生活も守秘義務に引っかからない程度で書いて行けたらと思っています。今後ともよろしくお願いします。

 

俺は渋幕生まれ、駿市育ち。

自他ともに認める帰国トップクラスの英語力、社会適合性と引き換えに手に入れた少しばかりの地頭で競争相手はぶん殴ってきた。

全国の学士編入ニキ達、対戦よろしくぅ!!

0003 お菓子作り

普段すごい料理するわけでもない、けどできないわけでもない。時間があればちょっと凝った美味しいものでも作って自分にご褒美あげたい。そんな男がいる。

 

ある日突然美味しいお菓子が食べたくなる。レシピを調べてみるとなかなか手順がややこしい、けど幸い必要な道具は全部ありそうなので、お店へ買い出しに向かう。

 

生鮮食品売り場や調味料売り場、乾物売り場とあちこちに行っては、レシピ通りの物を頑張って探す。中には聞きなれないスパイスもあったりするけど、ネットに頼りながらなんとかそれらしい物をカゴにいれる。

 

家に帰って手を洗い、キッチンでさぁ、調理を始めよう。意気揚々、もう口の中は頭の中で完成したご褒美の想像でヨダレが出てくる。

 

慣れない手つきで順番に材料を混ぜていく。けれどお菓子作りはなかなか複雑で、早すぎず、遅すぎず正しいタイミングで正しい材料たちを混ぜ合わせなきゃ行けない。時には分量を何回かに分けて慎重に加えなければいけない。そんな料理初心者には爆弾処理のように複雑に感じる工程をこなしていって、どこかで気づく。

 

あれ、これなんか違くない?

生地、なんか写真みたいにならないよ?

 

レシピを読み返す。

とんでもない間違いに気づく。

 

ああ、もうこれダメじゃん。

この生地もうお菓子にはならないじゃん。

オーブン予熱してたけど、もうこれ焼いても何にもならないじゃん。

 

けど、せっかくだから超美味しくなって欲しいと、こだわって、ちょっと高い、良い材料を丁寧に量って混ぜ合わせた生地もどき。

捨てるのには抵抗がある。

 

食べれるわけではないし、なにかできるわけではないけど、捨てるのはもったいない。

想像していた美味しいお菓子と入ってるものは全く同じなんだから。

期待が高かっただけに、悲しみも大きくて、ただ目の前の何かになるべくして一生懸命作ってきた、何にもなれない塊を見つめてため息をつく。

 

 

 

僕の人生ってちょうど、そんな感じ。

 

 

0002 秘密道具で金儲け考えてる間は逆に子供だったりする

ドラえもんの秘密道具を一つもらえるとしたら、何が良いか?

誰しも一度は、金曜日の夜、布団に入ってから妄想してみたことがあると思う。

 

僕は多分「どこでもドア」を選ぶ。

漫画最初期からその圧倒的汎用性で確固たる地位を確立し、認知度は最高クラス、映画は毎年スタメン入り、毎週のアニメでも、主役道具を邪魔せず、ちょっしたアクシデント時にさりげないフォローでストーリー進行を助けるので、秘密道具界でも人望、いや道具望が厚いと聞く。そんなレジェンド級の道具があれば寝坊も怖くないし、ちょっとした隙間時間に世界旅行へ行ける。

 

しかしながら、この話をしていると「タイムマシン」や「もしもボックス」を挙げる人が必ず出てくる。考えが甘いな、と言わんばかりのしたり顔で、自分の道具は一つであらゆる道具の代替機能たりうるのだと、主張する。確かにそうかもしれない、しかし侮るなかれ、どこでもドア派もみんな、そこは通ってきたのである。

 

この世界の根本的仕組みを覆す強力な道具たちを差し置いて、どこでもドアが選ばれる理由、それはズバリ実生活に馴染みこむ使い道と、レジェンド級なのに控えめな主張の効果なのだと僕は思う。

 

ゲームにおいてチートを使うと段々本来の楽しさが減るように秘密道具が強力すぎると生きるのが面白くなくなってくるのでは、と考える。

 

その点どこでもドアはどうだろうか?朝の満員電車に乗らなくて良い。もう15分寝られる。お昼休みにパリのお洒落なパン屋さんに行ける。疲れた日には仕事終わりに文字通り秒で家に帰れる。しかも恥ずかしい時には穴を掘らなくてもその場から即刻消えられる。今まで通りの日常にちょっとした便利さ、ささやかな幸せが加わる。それぐらいがちょうど良いのでは、そう思うのである。

 

ちなみに、どこでもドアを挙げる人は次点で暗記パンを挙げがちである。

0001 カフェ店員お気持ち表明

カフェで働いてる。毎朝常連さんに「おはようございます。いつものです。」ってするお仕事。

 

目は口ほどに物を言う、って言葉がある。

今度ぜひカフェに行ったらお兄さんの目を覗き込んでみて欲しい。僕の目は「うんちしたい」って叫んでる。

朝飲んだ冷たい牛乳がだめだったんだろう。お腹が痛い。シンクで冷たい水が手にかかるたびに精神的な三途の川がチラつく。ラテ用にスチームミルクを炊きながら暖をとってなんとか意識を繋ぎ止める。

 

今日も僕は休み時間に慌ててトイレに駆け込む。お腹が弱いのは大変だ。毎日がギャンブル。しかもいつでもオールイン、負けたら人生終了。